この本を読んで思った印象は、Paul Grahamはギークで天才な人なんだということだ。
彼の考察は、デザイン・モノづくりに対してとても鋭く、プログラマーでなくとも、クリエイターであれば一読に値するものだと思う。なにせ、彼は天才プログラマーでありながら、美大に通って絵を学んだ経験がある。絵を描くこととプログラミングの共通点を多く述べている。
彼の考察の一つはこれだ。
芸術はセンスだという言葉が世の中に存在しているが、彼はセンスというものを否定している。
代わりに、「美」をモノづくりにおける最高の指標としている。コーディングでも、絵でも人々は良いものを美しいと形容する。
多くの人が良いと思うデザインがあるのであれば、そこにはそう感じさせる要素が必ずあるのだという主張である。確かに、この主張は多くの場合正しいと思う。ただし、ピカソの絵のように元々は高い模写力のある絵を描けるが、そこから発展しすぎて多くの人には理解できないものが生まれるとも限らない。僕が挙げたこの例は、「守破離」の考え方とデザイン思考の観点で説明できると思う。①ある人のもとでデザインを学ぶ=「守」(これは世の中で良いとされる型であることが多いと思う)。②自分流に良いと思う方法を模索。③オリジナルに昇華
最後、③の状態となった時、世の中の人はどういった反応を示すだろう。これは、門外の人にとっては、まったく理解できないものになるかもしれない。そして、同じ分野の人間であれば、それに対する反応は二つに分類される。斬新で素晴らしいと思う人もいれば、自身の価値観に全くそぐわないとして拒否反応を示すかである。この拒否反応は自分の作品や行動に強い思い入れを持っている人ほど強くなるだろう。
この芸術という分野では、ピカソは自分のために絵を描いても良かった。モノづくりにおける視点には、「デザイン思考」というものがあるが、彼にとっては大衆に受けるものをつくる必要はなかったということだ。彼がキュービズムの絵を描き始めた時、彼は社会的にすでに成功を収めており金銭的に余裕はあったし、そもそも絵はビジネスのように多くの顧客や売り上げを得ることではない。彼の絵に対する情熱と創造性は、門外の一般人には想像もつかないものだろう。物事への志向性がこのレベルまできてしまうと、一般人には理解できなくなるかもしれない。
補足が長くなったが、Paul Grahamの「美」に対する主張に対して、僕の解釈はこうだ。多くの人が美しいと思うものを作ることはテクニックで可能であるということだ。ある分野である程度成功したければ、その分野で成功している人を真似ることだ。その時、自分のセンスなどは持ち込む必要はない。成功者のテクニックを真似る機会を逃してしまう。ある程度成功したと感じた時に初めて、オリジナリティを出せばいいのだ。
この本を読んでいると、なにか作りたいという欲求に駆り立てられてしまいました。
自分もウェブサービス作りてえ。
また、続編を書くと思いますがいったん以上です。
とりとめなく綴った文章ですが、読んでくださった方はありがとうございました。